育休中にかんがえる。 ~私にとっての不妊治療・高齢出産~

KLC(加藤レディスクリニック)、新宿溝口クリニック(栄養療法)、セキムラ鍼灸医院にて不妊治療を経て41歳にて出産(2014年7月23日)。いま感じること、考えること、あれこれ。

治療中に励まされた言葉「今、子どもを持とうと決意した自分を…」

不妊治療中は、いつももやもやとしていた。

その「もやもや」は年齢による焦燥感や先の見えぬ不安、加えて罪悪感のようなものも交じっており、そのことによって、感情はさらに複雑な化合物となっていた。それは過去の自分を責めるものであったり、あるいは義理実家や旦那に対して嫁(女)の自分を申し訳なく思う気持であったり…。もちろん、そんなことに罪悪感など感じる必要はないということはアタマではよぅくわかっている…夫も義両親も気を遣ってくれ、私が傷つくような言葉を発するどころかそのそぶりさえも一度も見せなかった。それでも、治療のため仕事を抜け出すときの、会社や同僚への申し訳なさも交じり、軽いウツのような状態になることもしばしばあった…。

そんな時の私が、ふとラクになった言葉がある。

今読むと、普通のことが書いてある、なんの変哲もない文章なのかもしれないのだが……ある漢方医の著作からです。

 

「子どもがいない自分を認める」

 

特に、長く不妊治療を続けているかたがたの中に、「子どもがいない」という事実を受け入れずこのができず、気が付けばいつもご自身を責めている姿をしばしばお見かけし、胸を痛めるとともにとても心配しています。

 

「子どもがいる」ということと「子どもがいない」ということは、今のあなたの状況を説明する単なる事実です。あくまでも、これまで生きてきた人生の結果でしかありません。そこに、よいとか悪いとか、立派とかそうでないとか、ましてや、男として、女としてどうとかいう価値観が入り込む余地はないように思われます。

(中略)

 この本の中で、何度も「加齢が不妊の最大の原因」だと説きながら、ここであえて申し上げます。

「妊娠の適齢期は、欲しいと思えた今まさにこのとき」だと。

子どもを作ることは目的でもゴールでもありません。

「もっと早く作っていれば」という後悔には、どこか、これまでの自分を否定して、子どもを作ること自体が目的となってしまっている空気を感じます。

(中略)

今、子どもがいない自分を認めてあげてください。

今、子どもを持とうと決意した自分をほめてあげてください。

そして、これから何ができるかは、ご一緒に精いっぱい考えましょう。

 

 

 「今、子どもを持とうと決意した自分をほめてあげてください」

私は、これが聞きたかった。どの病院に行っても、決して言われたことのない言葉。

オトナのくせに、ちょっと甘いと言われるかもしれない。

医療というよりカウンセリングの範疇だしね。

けれど、心と身体はつながっている。これは絶対、真実。

 

だから、治療中のひとは、できるだけ、ほんとうの意味で快楽的に過ごすべきだ。

この時間を、できるだけ心身ともに幸せに、過ごすべきだ。

あなたは、自分にもっと優しくして、いいんだ。

 

大阪の越田クリニックの志馬千佳先生。

私は、東京なので通院しなかったけれど(漢方自体は何度か試した)、この文章を読んだとき、心のもやもやが、少し晴れていくように感じたんですよ。だから、非常に恩義を感じているのです。上記引用は、P66ページより。

 

妊娠力をつける漢方レッスン―不妊治療とのダブルパワーで妊娠に近づく! (赤ちゃんが欲しいシリーズ)

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この2ヶ月で全部書く!

息子が7か月になります…そして4月の認可保育園入園が決まり、育休もあと2か月…やばいでしょう。すみません。こんなブログでも、閲覧してくださる方がわずかですがいらっしゃることを考えますと、無責任な放置に心が痛くなってまいりました。

 

今、不妊治療でがんばっていらっしゃる方のことを思いますと、その方々の手を握りたくなります。ストレスが大敵であるというのに、ストレスなしでは行えないのが不妊治療です。お金もかかりますし、パートナーや職場との関係もギリギリまで追いつめられることだってあります。 

 

私は、不妊治療中、異常な検索魔になっておりました。それがよかったかどうか、必ずしもイエスとは言えないわけですが……でも、ネットで有益な情報を得たり、同じ治療を経験した方々の記録に励まされたり、癒されたりしたことが多々あります。なので、書こうと思ったんですよね。真剣に…書きます。これから!

 

 

私がKLC(加藤レディスクリニック)に転院した理由①

KLCの前に、約2年間通っていたM医院でのこと。二度目の移植が陰性に終わった後、久々に病院に行った私の前に現れたのは、それまで担当だった院長先生ではなく、新入りの勤務医の女性だった。年齢は、ほぼ私と同じか、もっと若い。

「もうすぐで39歳ですし、後がないですよね…もう、どうしたらいいのか…お金もかかりますし、ちょっと今、治療継続に迷いを感じています」

できるだけ冷静に…自分。

「…」

「こんなことを聞くのもなんですが、私が妊娠できる可能性はどのくらいでしょうか? おわかりになる範囲で、先生の…主観でけっこうですので、何かおっしゃっていただけないでしょうか」

ダメならダメと言って !もう辛くて死ぬよ! と本当は叫びたい気分。けれど医者はカウンセラーではない。心理的なフォローは期待しないほうがいいとわかっていても、どうしても、苦しい感情が漏れ出てしまう。

「そうですね…」

 女医はふっと視線をそらして手元のカルテを見た。

「生理三日目のFSHが16です。FSHの意味は理解なさってますよね…」

「はい…」

FSHは卵巣刺激ホルモンのこと。病院に初めて来たとき、私は生理開始3日目の「FSH=7」だった。「少し高めですね。卵巣の機能が衰えていますね」と院長に言われたのを覚えている。それから通院して2年間の間に、FSHの数値は7→16へと上昇してしまっていた。なんと倍以上である…。

「FSHは、10を超えると、自然妊娠する方は稀なんですよね…」

 稀。まれ。マレ、という単語が頭を駆け巡る。

「もちろん、可能性はゼロではないんですが。でも、FSHは一度、上昇するとほとんど元には戻らないので…転院してもいいかも…」

さいご、独り言のように女医は言った。

えっ!?

いまなんつった?

転院してもいい?

てか、転院しろってこと?

あれっ?なんで?でもそれって??

私は女医の真意を、わざわざ確かめなかった。でも何となくわかる気がした。この病院ではダメなんだ。なんだ、そういうことか。

早合点で勘違いか、わからないが、この人は新入りだからこそ言えることを言ってるんだ、とその時思った。あるいは、見放されたか。

この二年、私は何をやっていたのだろうか。

家に帰り、amazonで、有名な「不妊治療はつらくない」を注文した。

不妊治療はつらくない―むだな検査や薬がふたりの赤ちゃんを遠ざける

不妊治療はつらくない―むだな検査や薬がふたりの赤ちゃんを遠ざける

 

 「不妊治療はつらくない」って、まあ、「不妊治療はつらい」ということを前提にしたタイトルですよね。まあ、その通りなのだが。

 しかしこれは、なかなか良い本です。感動的ですらある。一部、賛同できない部分もありますが(後述)。

もしもKLCに通院しようかどうか迷っている方がいたら、一読することをお勧めする。といっても、これは現在の院長でなく、先代の院長(創業者)が書いた本。だから、この本から受けた雰囲気を、現実の病院に期待すると、ちょっとガッカリするかもしれない。それから、病院に行くと初診のとき、無料で、もらえます(少なくとも2012年の時点ではそうでした。よって、私の手元にこの本は2冊あります)

参考:FSH(卵胞刺激ホルモン)-基準値・正常値のまとめ

 

 

息子が2ヶ月に。

きょうで、息子が2ヶ月と1日となった。

生まれたのは7月23日1時7分。出産時あまりに「痛い」そしてその後、新生児への授乳で極度に「眠い」という体験を経たためか、産前の記憶がもうろうとしている。

初めて、誰も読まないブログを書いていたことを思い出した。というか、妊娠中、忙しくて、まったく書けていなかった。

本来は、不妊治療の情報公開を行うためのブログだったのだが、どうしよう。

いま、私は育児休暇中。忙しいけど、書きたい。書かないと忘れてしまう…。さいごのチャンス。

育児は仕事よりキツイという人もいるが、個人的には私は仕事のほうがきつかったなあと思う。少なくとも今の時点では。つまり「頭がひま」。アラフォー身体的には、慣れない育児のほうがきっついwwのだが、「個人的に望んだことをしている」という意識が明確であるために、喜びのほうが上回る。

ただし、これ、たまたま子どもが今のところ健康で、夫や周囲も育児に協力的だからであって、その条件が少しでも変われば、育児ノイローゼというものに誰しも容易くなるだろうな、という想像もできる。だって新生児の母親に休みがないんだもんな。お昼休みも土曜日も日曜日もない。マジメ(?)にやってたらトイレにも行けず、お風呂にも入れない。ごはんも食べられない。

とりあえず、子どもが泣いていても「お母さん、○○するから待っててね!」と叫び、自分の生理的欲望を優先することにした。正直、最初の1か月は、トイレにあまり行けなかったので、膀胱炎になりかけたのだった…。

 

 

やっと体調が安定してきました

いやー、いやー、いやー、15週頃「安定期に入ったのかな?」とほっとしたのもつかの間、一日に2、3度おなかが張り出した。

 

とくに夜明け、目が覚めるほどおなかが痛い。まるで生理痛のような痛みで、おなかをさわると、ぽっこりとゴムまりのように子宮がかたくなって浮き上がっているのがわかる。これってやばくない?まじ!?けれど出血はない。検索すると、出血がない場合、基本的には赤ちゃんに問題のない場合が多いらしい。妊娠後期になると自然と張る回数が多くなるそうだが、まだ15週だ。

結局、不安な場合、病院で一応見てもらうしかない。「泣きそうになって病院(大学病院)に電話してみると「まずは様子を見てですね、もし痛みがおさまらなかったり、出血したら受診してください」と言われる。まあそう言われるとは思っていたので、「はい…」と行ったものの、半休を取り、病院に行ったのだった。

結果は、心拍の確認ができて子宮頸管も短くなっていない…問題なさそうということ。それはよかったのだが「原因はなんですか?」と聞いたら「人によってさまざまですが、疲労やストレスでは…」とのこと。「痛くなったらとにかく休んでください」「それしか対処方法がないですから…」「そんな簡単に仕事休めないです…」と思わず空中に視線を泳がせてしまった。医者は一瞬、黙ったが、「それでは、職場への連絡書を書きましょう。病名なら、切迫流産ということに。自宅安静2週間にしますか、4週間にしますか?」

「えっ!?」

自宅安静にしゅうかん…よんしゅうかん…

私の頭に浮かんだのは「この時期にそんなに仕事を休めない!!!! 私は社会的せーめーをうしなう…」ということだった。

医師はとても親切だった。赤ちゃんには今のところ異常がないのだが、私の表情が問題だと思ったらしい。職場ですごく追い詰められていると考えたらしい。

実際、多少追い詰められた気持ちになっていたのは確かではあった。職場に妊娠報告そのものは済ませていたが、少し疲れたかな、というときも休まず我慢していた(というか、いつもに比べてすぐに疲れるのだ)。「妊婦だからといって甘えてはいけない、他人には関係のないことなのだから」と自分に言い聞かせていた…

産休を取る、というのは「女性の(労働者の)権利」だと頭ではわかっているものの、感情的にはどこか疾しく、申し訳ないような気持がする。会社に対して…ではなく、職場の上司や同僚に対してだ。確実に、仕事面では迷惑をかけるから。不妊の期間が長かったから、何より「産・育休を取りたくてもなかなか授からず働いている」女性もいるってわかるから…自分は子どもを授かっただけでも幸運だから…

 

病院からの帰り、自分はずいぶん屈折した感情を抱えていて面倒くせえな、と思った。というのも別に職場から明確なプレッシャーを与えてられているわけじゃないのだ。一人芝居…

 

結局、連絡書は会社に提出しなかったが、残業はやめた(ぎりぎり仕事がまわる範囲で)。

 

今日は18週と3日だが、痛みはなくなり、体調は安定している。要するになんだ、やっぱりストレスだったみたい。ストレス大敵。

 

 

 

もうすぐ15週。

もうすぐ15週。だんだんとおなかが大きくなって、胸がまるく張ってくる。人生ではじめて「きょにゅう」(!)になったような気分。ちょっとだけなんだかうれしい気がしたのだが、下着類を買い替えなければならないと知って焦る。お金がいくらあっても足りない…。仕事帰り、暗い道をひとりで歩いているとき、ふっと思った。「もう今の私はひとりじゃなくてふたりなんだな」。

でも、いつかは子どもも私を離れていくんだ。私自身が両親を離れていったように。そう考えだして早くもさみしくなる。しかも私は高齢出産だから、子どもと一緒に過ごせる時間はほかのひとより少ないだろう。などと、自分の老後や臨終のようすまで妄想しながら歩いてたら、家についた。

最初の病院(不妊治療クリニック)の話

最初の病院も最後の病院も、ネットで探した。ネットさまさまである。

口コミと、通勤ルートに近くて通いやすい…と2つの条件を掛け合わせて決めたのが池袋のMレディースクリニックだった。院長先生はベテラン。サブの女性医師は親切。受付のひとや看護婦さんも優しい。待ち時間もそんなには長くない(あくまで2010-2012年前後の状況、私個人の感想です)。

不妊治療においては、「妊娠できた病院がよい病院」なので、その人にとってのよい病院が他のひとにとって「よい病院」とは限らない。逆も真なり。

私が不満だったのは、主治医の院長先生が、1年にわたるタイミング療法で結果が出なくても積極的にステップアップをすすめてくれなかったことだ。けれど、後から考えればそれも当然なのかな、と思う。肉体的にもまた金銭的にも最も負担が重いのが体外受精だ。初回のトライで約50万(!)はかかる。それでいて1回ごとの妊娠率はけっして高くない。年齢にもよるが、大体2~3割と考えていいと思う。患者が自発的に希望するという形をとらなければ、医者としてもやりにくいといったところだろう。

私はここで初回のホルモン検査、フーナー検査、卵管造影等々…にタイミング法1年、人工授精1回、アンタゴニスト法(排卵誘発剤の連続注射あり)による採卵と体外受精を2回行った。体外受精に関しては費用面も含めて、文字通り清水の舞台から飛び降りる気持ちで行ったが、新鮮胚での1回目も、凍結胚での2回目も、陰性だった。

その後、私はあるできごとから新宿のKLC(加藤レディスクリニック)への転院を決意した。